女の辞典

体験者の声

MAさん Chaw Yen Wongさん


M.Aさん(53歳)
(子宮内膜症・卵巣チョコレート嚢腫・腺筋症・準根治手術)
子宮内膜症の受診のきっかけになったのが、生理の後の右下腹部の痛みでした。お腹の奥のほうに感じる痛みで、最初は盲腸かと思ったのですが、盲腸でもない。じゃあヘルニアかということで外科へ、そしたらヘルニアでもない。すると考えられるのは婦人科しかないというので産婦人科を受診しました。
産婦人科を受診することにはとても抵抗がありました。皆さんも最初はそうだったと思うのですが、それしか考えられなということでしたので渋々行きました。そうしたら内診と血液検査(CA−125)の結果、子宮内膜症。最初に提示された治療法がスプレキュアでした。
スプレキュアを1クール、6ヵ月使いました。その時が45歳でしたから、これで閉経に逃げ込めればいいなって、最終的には何クールもスプレキュアを使わされたのですが、1クール使って2、3ヵ月してまた再発してしまいましたので、「どうしたらいいのですか」と聞いたら「あなたの場合はお子さんもいらっしゃるから、年齢的にも子宮全摘手術(開腹で)をお薦めします」そう言われてしまいました。
痛みがかなりひどかったので、「じゃあお願いします」と手術の予約をして、術前検査をすませて、ですがやはり、子宮を取ることの怖さとか、自分の病気がどういうものかをまだ全然判っていなくて、主治医のいうがままだったのです。
腹腔鏡下手術という方法があると知って「手術は腹腔鏡で」とお願いしたら、当時はまだやっている施設が少なかったせいでしょうか。「それは検査であって治療方じゃない」と言われてしまって、でもお腹を切ることもいやでしたので、なんとか腹腔鏡下手術をやっている病院はないかと探して、実施している病院を見つけて受診しました。セカンドオピニオンですね。
そこの病院の医師は、MRIとかCTとか、それからCA125の値とかそんなのを見てから「まだ手術をするほどの段階じゃないからしばらく経過観察でスプレキュアを使いましょう」と言われたのです。「なんだ、手術する程悪くなってはいなかったんだ」と安心しましたが、また同じ事の繰り返しかとがっかりしました。
使っていると、プレキュアの副作用が、頭痛、肩こり、吐き気、脱力感、皮膚の乾燥、脱毛、体重増加、それから味覚障害とかがだんだん出てきました。そのうちにスプレキュアを使いだすと頭痛がひどくなって来て、我慢出来ない程の痛みで「先生、このお薬使えません」と言ったのです。「痛み止めを飲んでも患者さんは皆さん我慢して使っています。使って下さい」と言われてしまって、使い続けていたのです。でも痛み止めの座薬を使っても頭痛は取れなくて、スプレキュアを使わないと頭痛は治まりましたが、スプレキュアを使わないと生理が来て、その度に七転八倒の激痛が襲ってきます。その痛みをなんとかしのいでその直後に頭痛ですから、痛み止めの飲み薬なんて、全然、座薬を入れても効かないのです。もう我慢出来ない、もうこんな薬使いたくないと言って、スプレキュアの茶色い瓶、使っていらっしゃる方は判ると思うのですが、床へ「バァーーン」と放り投げたこともありました。
使わないと頭痛はないから、でも使うと頭痛がくる。それも痛み止めも効かない、そんな状態で、やはり色々副作用には悩まされました。それが2人目の医師の時でした。
そんな状態でしたから、家族も心配して、他に何か方法はないのか、医師を変えました。ホルモンの専門医ということで3人目の医師を訪ねました。
その医師が「スプレキュアを使う日にちを、少しずらして使ってごらんなさい」と、いわれたとおりに排卵が済んだのを確認してから使いだしたら、不思議なことに使い出してからの頭痛がなくなりました。これで何とか閉経まで逃げ込めるんじゃないかと、普通の人よりも骨密度もあったので、結局またスプレキュアを合計で4クールか5クール使いました。でも同じことの繰り返しで、3人目の医師の所へ受診してしばらくして患者会(子宮筋腫・内膜症体験者の会 たんぽぽ)へ入会しました。
患者会へ入ってボランティアとして活動しているうちに、患者会の事務所には色々医療文献とか書籍があるので、それを読んで一生懸命勉強しました。これから自分の病気とどうつきあっていったらいいのかと考えて、文献や病院データベースを調べているうちに腹腔鏡下手術と内膜症の専門医が見つかったのです。この医師を一度訪ねてみて、どうしたらいいか決めようって、その病院を訪ねました。
それまでに既に4年以上経過していたのですが、その間には二人の娘たちの受験とか、私の父も癌で亡くなっておりましたので看病もありました。次女の大学受験が終わったこともきっかけになったと思うのです。そんなで自分のことを少し余裕をもって考えられる時間が持てたので、その病院へ行きました。
診ていただいたら、今までは内膜症と言われていただけでしたが、「子宮内膜症と左の卵巣のチョコレート嚢腫と子宮腺筋症」と診断されました。腺筋症まであったのか、そんなに悪かったのかと落ち込みました。
医師からは、ダナゾールの低用量用法を提示されましたが、今までスプレキュアで様々な副作用を経験していましたから「ホルモン薬はもう使いたくない」と言ったのです。そうしたら手術しか方法がない、全摘ですって、ショックでした。次回の受診迄によく考えて来て下さいって、次の受診まで3週間あったのですが、悩みに悩みました。夫、娘達、母にも、回りの皆に相談しました。
一応手術すると決めて「手術をします」と医師に言ったのですが「8割は手術しなければいけないことは判っているが、どうしてもあと残りの2割で踏み切れない」そういったら「医者が10人いたら9人まで手術を勧めます。じゃあ、ポーンと背中を押す意味で手術日を決めてしまいましょう」と言われたのです。
この内膜症の専門医に手術といわれたら何処の病院へ行っても結果は同じだろうと思いました。やはり、こういう決断は自分では判っていて、回りからも勧められていても、どうしても最後の一線が飛び越えられなくて、それを主治医がポーンと一つ、壁というか、川を飛び越えさせてくれたのです。強引ですが、背中をポーンと押してくれたのです。
手術日を決めてもらったら少し楽になりました。気持ちや環境を手術モードに追い込んで予定通りに手術をしました。
腹腔鏡で、私の場合は既に凍結骨盤という状態で、腸壁に卵巣も卵管も子宮もべったりと癒着していて一塊になっていました。それでも腹腔鏡下手術で、普通は2時間程なのですが、私の場合は癒着を剥離するのに時間がかかって、4時間ぐらいかけて手術していただきました。手術の前に「卵巣を残せるものなら、残して下さい」と言ったのですが、子宮全摘、それからチョコレート嚢腫で左の卵巣、卵管を取っています。右の卵巣も一部チョコレート嚢腫でしたからその部分は取られていますが、ほぼ残っています。
手術の後も色々とあって、毎月のあの激しい痛みがなくなって嬉しくて、少し頑張りすぎたせいでしょうか、関わっていたことのストレスから十二指腸潰瘍をやったり、その上、手術でホルモンのバランスも崩れたせいか、そんな事も重なって欝をおこしたりして精神科にも数カ月通いました。時間はかかりましたが、それでも総てが回復してからは元気に過ごしております。
手術を勧めるとか、そういうことは一切いいませんが、手術をしても、時間はかかるが、それを乗り越えれば快適な日常生活を送れている患者がいるのだという見本で、お話しさせていただきました。皆さんも、これからご自分の病気とどうつきあっていったらいいかということを、よくお考えになっていただきたいと思います。

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Chaw Yen Wongさん

子宮内膜症の患者さんへのメッセージとして、最近見つけた文章をご紹介したいと思います。これはLancetというイギリスの一般医学のジャーナルに、Chaw Yen Wangという子宮内膜症の患者が投稿した'coping with endometriosis'『子宮内膜症との戦い』とでもいうメッセージでしょうか、文章の最後の一節です。どうぞみなさん、自分をみつめ、自分の希望を持ち、それを医師にアピールし、本当に『わたしにあった治療法』を選択できるようにしてください。
'My relationship with endo(metriosis) has unexpectedly forced me to take a good look at my life, my priorities, who I am, and who I am not.' 「子宮内膜症という病気と付き合っていくなかで、私は期せずして、自分の人生とは何か、自分の優先すべきことは何か、さらには本当の自分とは何かという問題についてよく向き合うことになった。」

子宮内膜症との戦い Chaw Yen Wong (Lancet 364号より)

『子宮内膜症』私が最初にそう診断を受けたのは、1995年、外国の大学院に通っている時でした。この診断を受けた時、皮肉なことですが、私はむしろほっとしたのを覚えています。なぜなら、それまでわけもわからず苦しまされてきた、ひどい痛み、大量の出血、落ち込み、といった症状の裏に、実はちゃんと名前のついた『病気』が存在したという事実が明らかになったからです。そしてその病気は、世界中の何百万人もの女性がかかっているといわれている疾患でした。

私の記憶のなかでの生理とは、いつも重く、痛く、辛いものでした。けれども世の中には、生理のことをおおっぴらに話題にするなんて、恥ずかしい、みっともないといった風潮があり、私も、当時の同じ年頃の女の子はみんなそうだったと思いますが、生理の辛さとはどうしようもないもの、女に生まれてきた以上これくらい受け入れなくちゃいけないのだ、と信じて我慢していました。

振り返ってみると、そんな私の状態は年々悪化していました。しかし当時の私は、自分の体をじっくりいたわったり、どこか悪いところでもあるのではと真剣に考えたりすることなどありませんでした。そのうち生理が重いせいでひどい貧血になり、痛みがひど過ぎて吐きそうになるような日が続くようになりましたが、逆に、そんなやり場のない怒りや不満をがむしゃらに働くことで紛らわせ、かえって健康をそこねるという悪循環を繰り返していました。多分、仕事がどんどん増え、目標がどんどん高くなり、いつのまにか、普通、みんなこんなものだろう、自分は大丈夫だ、と勝手に思い込むことで、辛さや痛みをごまかしていたのだと思います。自分は病気なんかじゃない、という思い込みとは恐ろしいものです。

そうこうしたのち、とうとう私も助けを求める決心をしました。子宮内膜症と診断されたことは、けれども、私にとっては、その後の辛くて長い、自分をいたわらなくてはいけないこととなる旅への小さな第一歩にすぎませんでした。私は他にもあらたに婦人科の病気;子宮筋腫・子宮腺筋症、があると診断されました。いろいろな薬;ホルモン剤や痛み止め、を次から次へと試しました。が、ある薬は一時しのぎにしかならず、ある薬は副作用が耐えられず、ある薬は全く効果なし、でした。数えきれないほどの手術も受けました。腹腔鏡、子宮鏡、そしてこのあいだ、ついに開腹で子宮筋腫を取り除く手術を受けました。

子宮内膜症との戦いもかれこれ10年になりますが、幸運なことに、最後の開腹手術を受けてからここ最近は調子よくやっています。その手術を決断する際には、体にメスを入れられるという事実に、やらなきゃいけない、という気持ちと、怖いなあ、という気持ちが行ったり来たりで、相当悩みました。けれども私は、今回の手術がまた不完全に終わり、あとは子宮摘出しか手がない、という状況に陥るのだけはどうしても避けたいと思って、よく考えた上、この手術を選択しました。

子宮内膜症は、いったんかかってしまったら、完全に治す、ということの難しい病気です。そのかわり、ひとりひとりの患者さんが、それぞれにとって、その時考えられる最善の方法で治療しながら、病気とうまくつきあっていく、ということは可能です。健康で痛みのない毎日を取り戻した今、私はそう確信しています。

子宮内膜症は、女性の幸福な生活を台無しにする病気です。寄生虫のように女性の体に忍び込み、健康をむしばみます。頑固で、何にも屈しず、近代医学の技術を持ってしても大人しくなりません。体の奥で、巧みになりをひそめて、育っていき、ある時から、想像を絶する痛みや堪え難い症状を来して、私たちにその存在をアピールしはじめます。我々を自暴自棄、自己嫌悪に陥らせ、我々から夢、希望、仕事、家族、友達を奪い、人並みの生活をする権利すら失わせます。四六時中それに気を取られ、振り回され、自殺しようかという気にさえさせられます。

けれども、そんな子宮内膜症との付き合いのあいだ、この病気は私に、人生とは何か、という問いにじっくり向き合わせてくれました。子宮内膜症は私に、今優先するべきことは何か、私とは何者なのか、といった質問を投げかけ続けました。子宮内膜症は私に、私の中にある『女性』を慈しみ、尊ぶことを教えてくれました。子宮内膜症は私に、これまで封印していた辛くて悲しい記憶に、きちんと目を向けさせました。ごまかし、現実逃避は許されず、どんな状況でも現実を理解し、筋道を立てて考え、説明できるよう鍛えられました。バランスの良い食事を摂り、健康的な生活を送ることの大切さを知らされ、自分の体は自分で守るようになりました。この病気の診断によって、誰にもはばかることなく十分な滋養と休息を得ることができるようになりました。今でも、子宮内膜症は私に、健康で幸福な生活を送っているのは決して当たり前のことではない、ということを常に意識させ、自分に今与えられた能力を最大限生かして生きていくよう励ましつづけ、日常の些細なことにも楽しみを見いだす喜びを与えてくれています。この病気に苦しんでいらっしゃる皆さまもいつか癒され、元気になりますよう願って止みません。

ランセット
(日本語訳 甲賀かをり)

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